hiyoblog2005-10-24








想い出+++++++

住み込みで新聞屋でバイトしていたとき

テレビもない僕にとって

売店スーファミPCエンジンやPSなんかやるのが

唯一といっていいたのしみであった




そのときにPCエンジンでよく

このワルキューレの伝説をプレイしていた

このゲームの主人公は女性である。





そのとき食堂で

新しく来た新人のおやじが所長とよく雑談していた。

それを横でなんとなくききつつゲームしていた。


口癖のように

「女なんて」とそのおやじは言っていた、、。


自分の妻に裏切られたことを

一般化しすべての女性を毛嫌いしていた


あるとき、何かの事で井原という18で地方から出てきた女の子が

その親父にがなられていた

いじめは見えないところでやるものだ、、。

その事にきずいていたのは ぼくと少数であった。



そのとき正義の心が燃え、怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られたが

その時期は体調が悪く勉強や金 将来など悩みが多すぎて


卑怯にも僕はもめるのを恐れて見て見ぬふりを決め込んでいた、、

自分の人生のおおきな後悔のひとつである、、。









関係のない女の子まで自分の勝手な考えで八つ当たり、、、

そして井原という18の女の子は

ついにやめさせられた、、。



新聞奨学生が途中でやめるとかなりの額の借金を抱えることとなる。

井原さんがどうなったのかは僕は知らない、、。





おやじの言う 愛とはそんな薄いものなんだろうか?

そんなせこい考えだから裏切られたとは思わないのだろうか?


もし自分に非がなかったとしても裏切られたぐらいで消えるなら

それは愛ではなく取引だ。



一度 愛すると決めたなら何があっても最後まで愛しぬく!




そんな信念を貫けないのだろうか?

そんな人生になんの意味や価値を見出せるのだろうか?




愛とは無償で与えるものなのではないだろうか?








この女を一生愛するときめたなら

裏切られたぐらいでがたがたぬかすな!

といいたい。







そしてその女を選んだのは自分自身の判断だったはずなのに、、、。





そしてリーダーの所長もとてつもない間抜けだった、、

だから僕はその時期 心を皆から閉ざして一人でふてくされていた、、

あいつにも非はある。




だがそのおやじを制止できなかったのは

紛れもなく僕自身なのだ。そのことを僕は忘れない。






ぼくは貧乏な家に生れ育ったせいか

幸せな女性をあまりみたことがない

幸せな自分を女性は演じたがるものだ

だが本当は違う場合がほとんどだった







ほとんどすべての男たちがより高い欲望に向けて動く社会で

夫だけを信じて生きる人生には無理があるんじゃないだろうか?

女性にとってはい生きにくい世の中だなぁ、、といつも思う、。




それに比べたら政治や経済の問題なんてたいしたことはないと思う。

女性が幸せならば育てられる子供も当然幸せだ

社会の根幹をなす女性が幸せであるか?


それが社会において最大の関心事であるべきだと思う











だから僕はいつも必要以上に女性に優しくしてしまう。







そんなこと思い出させる「ワルキューレ(女性)であった」