2年前のえりすぐりの日記を再掲載しておく

ファンタジーゾーンと母の思い出







母は賢い女性ではなかった。

はっきりいうと あほだ。

ゆえに苦労し社会の最底辺に汗にまみれて生きる人だった

学校もろくに出ず不器用で友達も作れず、親父にも馬鹿にされていた

華やかさなど皆無であった、、。


中学生のとき月の僕のこずかいは2000円だった

ゲームもゲーセンも大好きな僕にはきつい額だった

そこで友達とゲーセンにファンタジーゾーンをしに行くとき

母におねだりするのだ。

もじもじしながら、、「おかあさ〜ん あの、、、その、、、」

というと「なんや、、お金か?」と察してくれ、、

「私が小さいときにも母にねだったなぁ、、」

といい うれしそうに500円玉をくれたものだ。

母には子供に対するとてつもない愛情があった。

そこには何のうそも計算もなかった。

いや、あほだから計算できなかったんだろう。

中学から高校までの5年間、毎日弁当を作ってくれたが

まったく手抜きがなく80%ぐらいおかずで8種類ぐらい入っていた。

だから毎回、弁当をあけるときは、自然と感謝の気持と

変な ド迫力を感じたな、、。

周りの子の弁当と比べると気合の入り方がまるで違うのは明らかだった。

もっといい意味で手を抜くこともできただろうに

母はそれはできなかった。

ただもくもくと 母の信念が弁当を作る行為にいきずいていた。

こうすれば得するや楽できるなどとせこい考えは一切なかった

そこにあったのは  愛 そのものだけであった

しかも、それが母にとっては当たり前で全く恩着せがましいこともなかった


僕は中学のとき僕のうちには教育がないと嘆いていた

確かに何も教えてくれず こごとのひとつもいわなかった

家にいて気楽だが僕にとってはそこが不満でもあったのだ。

説教もろくにできないあほな親、、。




だが本当は一番大切なことを教えてくれていたのだ。

そのときはわからなかったが、

あほな母は自分の生き様を 愛を

当たり前のように貫くことを教えてくれていたのだ。



そのことが 

暗闇に差す一条の光のように

今になって僕の人生の輝くような想い出に変わっているのだ。



名もない母のくれた想い出は

偉い学者やスポーツ選手なんかの活躍よりも説教よりも

僕にとって はるかに尊いものだ。

人生とはなんなのか?

言葉なんかじゃない その答え そのものだった。

それを僕の心よりも深いところにある魂に焼き付けてくれたのだ。



僕のゲームにはゲーム愛を作品に込めたい

こうすれば受けるだろうとか、楽できるだろうというせこい考えは一切捨てたい。

そしてみんなの光り輝くような思い出になれるようにしたい

単なる作品を超えるような作品にしたい

自分の生き様を貫きたい、、愛を、、、。


「何をやるにしても、そこに自分なりの愛はあるのかい?」

それはみんな あほな母が教えてくれたこと、、。





ぼくは 母をすごく尊敬している




PS.

母は僕が17のとき男を作って今やどこにいるのかもわからんが

何の恨みもない。

むしろ感謝の気持と今幸せなのかが大変気がかりだ。

ファンタジーゾーンをたまにやる度に母のことを考えてしまうのだ。